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以前、友人に協力してチャリティーコンサートを行った時のこと。
「たしかに寄付金はあり難いし具体的に役立つ、
しかし、それ以上に集まってくれる観客の方に知って欲しいのは真実と現状なんだ」
その友人が情熱を込めて語ってくれた言葉を思い出します。
私達は家族や友達の誕生日や記念日にカードやプレゼントを贈ります。
それは「あなたのことを大切に想っています、忘れてなんかいませんよ」
という気持ちを伝えたいからなのだと思います。
あの広範囲に亘る被災した地域を訪れてみると、一瞬で理解できることですが、
我々民間人の善意の積み重ねだけでは如何ともしがたい状況がそこにあります。
それに対して、この復興支援コンサートで集められる寄付金は大きな額ではないでしょう。
しかし、それでも何らか具体的に役立つことは確かです。
そして、何よりも「あなたのことを忘れてはいません、想い続けています」
という気持ちを伝えられたら…と願うのです。
浜田省吾
みなさん こんにちわ!
アリーナ稲敷・メカニックの「のぐち」ですぅ~。
寒~い日が続きますが、元気でお過ごしでしょうか?
さて、今回はエンジン不調の話です(←プロですから・・・)
クルマはH13年式エブリー エンジン型式K6A 4WD オートマ 108,000km走行。
症状はエンジンはかかるものの、ファーストアイドルがきかずすぐにエンストする。
VVTはついておりません。
他店にて、ISCV(アイドルコントロールバルブ)と水温センサーを交換済みとのこと。
早速 スキャンツールにてダイアグ(自己診断)をチェック。
正常コードです。
アクセルを踏んで暖機をとり、試乗してみると10万Kmをこえてるので加速不足を感じる。
工場に戻り さらにスキャンツールを接続しセンサー系統のパラメーターを点検。
問題はなく規定値の範囲内。
今度はアクティブテストで目標回転数を1,700rpmに設定するも現車は1,280rpm
次に目標回転数を510rpmに設定しても実車は同じく1,280rpm
これは間違いなく制御系の不良でエンジンコンピューターの不良と判断。
大変勇気を必要としましたが、エンジンコンピューター65,600円(税別)を注文っ!
祈るような気持ちで、恐る恐るエンジンキーを回す・・・
キュン キュン キュン ブーンという音と共にウーンというアイドルアップ!
嬉しさ半分 安堵感半分のエンジントラブルでした。
↑ 交換したエンジンコンピューター
専用のスキャンツールがないと、絶対に直せない事例です。
:::::::::::::尊敬する人の言葉::::::::::::::
私は日々の仕事に打ち込むことによって、人格を向上させていくことができると考えています。
つまり 一生懸命働くことは単に生活の糧をもたらすのみならず
人格も高めてくれるのです。
みなさん こんにちわ!
株式会社 野口自動車の「野口」です。元気ですかっ!
いや~毎日 寒いですね~。
毎朝のトイレ掃除で手と耳がきれそうなくらい痛いです。
明日から もう2月。
まだ 年初のスタッフ全員の目標も張り出していないのに・・・・(>O<)
花粉も飛び始めそうだし、頑張らなくちゃ!
ボクの尊敬する人の言葉
働くことは、まさに人生の試練や逆境さえも克服することができる
「万病に効く薬」のようなものです。
誰にも負けない努力を重ね、夢中になって働くことで、
運命も大きく開けていくのです。
新年明けましておめでとうございます!
本年もどうぞ宜しくお願いします。
昨年はボクにとっても日本にとっても最悪な一年となりました。
振り返ってみれば「アラブの春」に始まり、悪夢の3.11、原発、風評被害、超円高など
外的要因は色々あるにせよ大変厳しい一年でした。
ただ一つ言えることは「すべて我が心の反映」にあるということと受け止めて、
今年は商品を「売る」とか「買って頂く」というのではなく、
「お届けする」ということを追及していこうと思ってます。
毎年尻蕾みになる目標ですが、必ず大晦日に納得の笑顔でいれるよう努力する所存です。
本年もスタッフ一同「共に成長する」ことをテーマに邁進してまいりますので、
何卒宜しくお願い申し上げます。
師走を迎え、平成二十三年もあと一ヵ月足らずで終わろうとしています。
東日本大震災という未曾有の大災害をはじめ、様々な困難に見舞われた一年でもありました。
しかしどんな困難な状況が起ころうとも、日々仕事や生活をしている以上、
私たちは常に前進していかねばならないのです。
倫理法人会の目的の第一義は「経営者の自己革新をはかる」です。
前進するということは、常に自分自身が変わり続けるということでもあります。
変わるためには、ただ思っているだけではどうにもなりません。
実践という道を避けて通ることはできないのです。
倫理研究所の創立者・丸山敏雄の遺した言葉に次のようなものがあります。
「新しい倫理の実践は、一にすなおの一本路を前進して、
ことごとに内の小我をすて、己以外の偉大者につく道ゆきである」
「実践と離れた理論はない。実践して初めて倫理であり、頭に浮かんだだけならば、
それは実行を伴わない雑念と選ぶところがない。
ここに倫理は、実践において完成する。実践なき倫理はない」
「進むことが、そのまま倫理の実践である。
実践とは、『ふむこと』。『ふむ』とは、新しく践む(ふむ)ことで、一度ふんだことは、
もう践むのではない」
実践のあるべき姿を説いた言葉ですが、この一年を振り返ってみて、
私たちは果たしてどれだけ新たな実践に踏み込み、かつ成長することが出来たでしょうか。
「新年に決意したことを今日までやり通し、
自身が納得すると共に周囲からもなんらかの評価を得られたか」
「周囲からのアドバイス、指導されたことを真摯に受け止め、改善に努めてきたか」
「自身が気づき改めようと決意したことを徹底して実践してきたか」などです。
A氏の新年の決意は「一つひとつの仕事に熟慮して取り組む」でした。
ついつい長年の習慣で創意工夫を怠り、過去の経験だけで事に当たってしまうことが多かったのです。
そのためには早めに段取りし、いったん構想が決まってもあらゆる角度から検証していこうと思ったのですが、現実は思うようにいきません。
生来ののんびりするクセがいつの間にか顔を出し、
「まだ時間がある。大丈夫」と思っているうちに期限が迫り、
結局間に合わせの仕事になってしまいました。
次は何とかしようと思いながらも、また同じことの繰り返しを重ねてしまうのです。
間もなく一年が終わろうとする今になって悔やんでみても、もうどうにもなりません。
A氏のようなことを繰り返していたならば、仕事の内容充実は図れないばかりでなく、
自身の成長・前進は望むべくもありません。
来年は辰年。「昇竜のごとき」とあるように、実践に弾みをつけ、飛躍的な自己の成長を遂げていきたいものです。
そのためにも、今年一年の自身の行動を冷静かつ客観的に見詰め直す「充実の師走」としてまいりましょう。
人は不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。
あなたが善を行うと、
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。
目的を達しようとするとき、
邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。
善い行いをしても、
おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなくし善を行い続けなさい。
あなたの正直さと誠実さとが、
あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく正直で誠実であり続けないさい。
助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく助け続けなさい。
あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。
けり返されるかもしれません。
気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。
気にすることなく、最良のものを与え続けなさい…。
よく家内に言われるんです~。
「あなたは指導力が無い」って・・・・。
子供に対しても、社員に対しても。
おっしゃるとおり自分も、そう感じてます。
そこで、いつもこの言葉を思い出すんです。
「小善は大悪に似たり、大善は非常に似たり」
信念もなく馴れ合いの迎合は一見愛情が深いように見えますが、
結果として人をダメにしていきます。
逆に信念を持って厳しく指導する上司は、煙たいかもしれませんが
長い目で見れば人を大きく成長させることになります。
どうあることが相手にとって本当に良いのか見極めるのが難しい・・・・。
馴れ合いではない優しさ、責め心のない厳しさ。
ボクの人生における大きなテーマです!
ある小学校で良いクラスをつくろうと一生懸命な先生がいた。
その先生が五年生の担任になった時
一人、服装が不潔でだらしなく、遅刻をしたり、居眠りをしたり
皆が手をあげて発表する中でも、一度も手を上げない少年がいた。
先生はどうしてもその少年を好きになれず
いつからかその少年を
毛嫌いするようになった。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを
記入するようになっていた。
ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。
そこにはこう書いてあった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。
弁口もよくでき、将来楽しみ」とある。
間違いだ。他の子に違いない。
先生はそう思った。
二年生になると
「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。
三年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、
教室で居眠りをする」。
三年生の後半の記録には
「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、
四年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」。
先生の胸に激しい痛みが走った。
だめと決めつけていた子が突然、
深い悲しみを生き抜いている
生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かされた瞬間であった。
放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで、教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?
わからないところは教えてあげるから」。
少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。
六年生で先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出会った中で一番素晴らしい先生でした」
それから六年。またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金ももらって医学部に進学する事ができます」
十年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えた事への感謝と、父親に叩かれた体験があるから
感謝と痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。
「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を
救ってくださった先生を、神様のように感じます。
大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生のときに担任して下さった先生です。」
そして一年。
届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母親の席に座ってください」
と一行、書き添えられていた。
先生は嬉しくて涙が止まらなかった。
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僕は、このお話を日本中の先生に読んでもらいたいです。
日本中の大人に読んでもらいたいです。
ダメな人なんていない。
可能性のない人なんていない。
僕たち大人が、ダメだと決めつけてしまう考え方があるだけで…。